北高尾山稜

731m

(東京都八王子市)

2015. 3.28

 
直線上に配置

  八王子城跡バス停→金子丸→八王子神社→八王子城山(450m)→富士見台→杉沢ノ頭(547.6m)
板当山(562m)→狐塚峠→杉ノ丸(612m)黒ドッケ(620m)湯ノ花山(615m)大嵐山(583m)
三本松山(590m)→関場峠→堂所山(731m)→底沢峠→明王峠→石投げ地蔵→大平小屋→
孫山(543.0m)→与瀬神社→相模湖駅                                                                          コース地図
 





  土日だけ運行している八王子城跡行きのバスを終点で降りる。 管理棟は準備中だった。
8:30から駐車場やトイレが使えるようになるようだ。 石畳を進んで行き、鳥居をくぐる。
 







  新道、旧道の分岐を新道に進むともう一つ鳥居がある。 これをくぐって登る。  







  石段を登ると金子丸に出る。 ここは金子曲輪の跡で、金子三郎右衛門家重が守っていた場所とのこと。  





周囲には椿が多く見られた。


道がせまくなり、七合目。







  八合目の平坦地。 柵門跡と書いてある。 名前の由来などは不明とのこと。
ここから九合目 (地図上の446m地点) を経て石段を登ると神社がある。
 





  八王子神社。 ここまでは観光地。これからが縦走の始まりだ。


  神社の裏手を登ると本丸のあった八王子城山。 ここには旧式だがトイレがある。  





指導標は完備していて分かりやすい。


八王子城終端の詰の城跡。







  小さなアップダウンを繰り返し尾根に出たら左へ上がった所が富士見台。 名前のとおり富士山が美しい。  







  ゆっくりと富士山を楽しんで、戻って尾根を反対方向に少し行くと杉沢ノ頭。 三等三角点がある。 林の中で展望はない。  







  板当山は山名板もなく、ただのピークだと思い写真を撮り損ねた。 まもなく 林道に出る。 登山道の案内板があるがすぐに合流するので林道を進むともう一つ案内板がある。 ここは板当峠というらしい。 ここから登るのが今日のメインコース。 いくつものピークを越えて行く。  狐塚峠で小下沢 (こげさわ) への道を分け、小ピークをいくつか越え、急な登りを上がると杉ノ丸。  





  少し下って登り返すと黒ドッケ。 ここから北に下るとキャンプ場などの施設のある夕やけ小やけふれあいの里に出る。  


  先に進むとすぐに湯ノ花山。 指導標にはツツジ平とマジックで書かれてある。 花の時期に来てみたいものです。  







  次が大嵐山。  さらに進んで鉄塔の横を過ぎ、三本松山だが標識のあるところは地図上の611m地点ではなく、手前の東西に細長い山頂の東端、590m地点でした。 どの山頂も木で視界が遮られている。  







  611m峰を越え、まもなく関場峠。 ここからも小下沢に下れる。 その先には黄色い花が咲いていた。 今日初めての花なのでひときわ目立つ。  







  南に進路を変え、さらに進むと堂所山。 ここは北側が開けていて見晴らしが良い。 休むには絶好の場所だ。 景信山から陣馬山への縦走路はここを巻いているので意外と人は少ない。  





底沢峠。


明王峠。
  明王峠は縦走路になっており、広くて明るい気持ちのいい場所だ。 売店はシーズンオフのためか営業していなかった。 トイレは使える。   





何桜だろうか? 日当たりが良いので咲き始めていた。


整備された道を下る。







  途中の石投げ地蔵に石を供え、林道を横切ってさらに下る。  

  石投げ地蔵の伝説
戦国時代、武田一族の出身とされる姫が、常陸の佐竹氏に嫁いだそうです。 佐竹氏との間には1人の娘をもうけたようですが、その後、離縁となり、娘を常陸に残して、甲斐に戻されたと言います。 残された娘は、乳母に育てられ、美しい姫になったそうですが、ある日、乳母より本当の母の事を知らされると、甲斐の実母に会いたくなり、乳母と共に父に願い出て、従士3人と乳母など5人で甲斐へ旅立ったそうです。
戦国時代、敵対する地を旅すると言う困難の中、ようやく晩秋に、あとひと息進めば甲斐の国という、山岳地である高尾山の明王峠まで辿り着きましたが、ある時は木の実を食べ、ある時は沢の水だけで空腹を満たすという過酷な旅の疲れか、食中毒か、姫は腹痛を起こし、草むらに倒れてしまったと言います。 乳母は驚き、従士を村里へ助けを求めに走らせて、姫を賢明に介抱しますが、姫は苦しむばかり。 ついに乳母が姫を背負って峠を降り始めます。 しかしまもなく姫は息絶えてしまいました。 姫の亡骸はその地に手厚く葬られました。 その後、武田一族と佐竹家の子孫がこの地をお参りし、小さな地蔵を建てて供養したのが嬢ヶ塚 (じょうがつか) であり、(地元では女が塚とも呼ばれる) また、村人やこの峠を往来する旅人が線香の代わりに 「石」 を供えたのものを石上げ地蔵、又は石投げ地蔵と呼んでいます。 
 







  下山途中に孫山への分岐点があった。 ついでなので登ってみる。 整備された階段を登ると三角点のある孫山。  







  下りついたところが與瀬神社。 立派な神社だ。  







  相模湖が見えてくると町は近い。 駅に向かう道端にかわいい花が咲いていた。 今日は花がほとんどなかったので心がいやされる。
長かった縦走も予定どおりの時間に歩き終えた。
 

コース地図



   

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